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手紙のアート: 私の「古き良き時代」の回顧録

──「古き良き時代」

人間味溢れるスローテンポな世界を懐古させる温かみと同時に、それは過ぎ去りし時代であるという虚無のという二面性が、このフレーズになんとも言えない魅力を与えているように感じる。老人が少年時代の素朴な平穏さを懐かしんで話す時や、時代物のドラマや映画のキャプションなどでしばしば見聞きするけれど、そういう場合にこの言葉が映し出すのはもちろん私たちの人生よりもはるかに昔の世界だ。けれど、20年間そこそこ生きてきた私たちの人生の記憶にも「古き良き時代」は少なからず存在している。膨大なテキストメッセージ、高画質の写真、効率とスピードに苛まれた都会の喧噪だけが私たちの時代の全てを形作っているわけではないはず。決して──。

 

手書きの手紙のやりとりは、私の人生における「古き良き時代」の重要な1ページを作っている。小さい頃、私は暇さえあれば白い紙を想像上の女の子の絵や意味のない文字で埋め尽くして有り余る時間を過ごしていた。時折、今まで私の作品のキャンバスになってくれた紙の量はいくぶん森林破壊に寄与しているのではないかと罪悪感を覚えるが、綴ってきた手紙の数(そして貼ってきた切手の総額)も周りに引けを取らないと思う。近所の友達、学校の友達、母の友人にまで、特に伝えなければいけないことがあるわけでもないが、とにかく手紙を書いて送っていた。そして、たくさんの手紙が届いた。今私の横にある棚に置かれた大きな箱のずっしりとした重みが、その歴史を物語っている。

 

茶色の地味な封筒をいかに可愛く見せるかは、当時の私が力を入れていたことの一つだ。おもて面にまで及んだ派手なデコレーションや変わったペンで書かれた宛名、送り先は同じ市内にも関わらずわざわざJAPANとまで付け加えられた英語表記の住所は、きっと郵便配達員たちを困らせていたことだろう。私が一度、スマートフォン形の手紙作りに没頭して、何人にも送りつけていたときには受け取り手のみんなも同じような手紙を作って送り返してくれた。携帯を持たせてもらえず、インターネットの世界もまだ知らなかった小さなの女の子たちにとって、この手書き文章のやりとりは、誰にも邪魔されることのない自分たちだけの世界観を生み出し、友情の砦をより強固にしてくれる不思議な力を持つものだったように思う。

 

当時の私のペンフレンドは国内にとどまらなかった。フランスとイギリスに住む同い年の女の子3人とも航空便を通して日々の生活を語り合っていた。しかも彼女たちは、郵便局を通して住所を交換しただけの、一度も会ったこともなければそもそも顔も知らない赤の他人だ。長くは続かなかったけれど、お互いの国のものを送りあったりクリスマスや新年を祝いあったりした。返事が届くのは数ヶ月も経ってからということも珍しくない。それでも海の向こうに住む顔の見えない友達を思い、一枚のカードを待つのは決して苦ではなかった。「自分の手紙は海を越え無事に届いたのだろうか、彼女はちゃんと読んでくれたのか。」と考える長い長い時間が、ポストの奥に異国の雰囲気を醸し出すカードを見つけた時の喜びを倍増させた。

 

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「手紙」は効率、スピード、利便性とは対極にあるように思う。ものを書くのは頭を使うことだし、ペンで書くとなるとキーボードを打つのとは緊張感が違う。綺麗な字を書けないとイライラするし、カードに余白が残るとそこに何で埋めようか悩む。今どきポストもあちこちにあるわけではないし、何より、相手に何かを伝えようと思い立った時から、その気持ちが相手に届き相手の反応を伺うことができるまでには、現代人の感覚からすればかなりの時間がかかる。

 

さらに「手紙」というのものは、サーバーを通して送受信されるテキストと比べればとてつもなく脆い。運悪く配達員の袋からひらりと落ちてしまえば、いくら愛を込めたカードも決して相手に見てもらえることはない。無事に目的地についても、読む前に飼い犬に食べられてしまったりコーヒーがかかってしまうことだってあるかもしれない。当たり前だけれど、手紙の世界にバックアップや復元ボタンなどない。それ自体が姿を消せば、送り手にも受け取り手にも決して戻ってくることはない。私の近所の幼馴染は、私が書いた無数の手紙をまとめて紙袋に入れていたが、庭に持って行った時にカラスに丸ごと持っていかれた。ひらひらと何枚かを山に落としながら。彼女と私にとってそれは今までにないほどショッキングな出来事だった。

 

それでも私が手書きの手紙を愛するのは、手で文字を書くこと、封筒に切手を貼ること、ポストまで歩き投函すること、そして届いただろうかと心配に思い、返事を待つこと、その全てが「アート」のように感じるからだ。手紙にまつわる全ての労力、非効率性、不便さ、ノロマな時間の流れ、心の揺れうごきが私の美的感覚に刺さる。そして、そういうものこそ思いがけないストーリーを生み出す力を持っていると思う。喜劇かもしれないし、悲劇かもしれない。しかし、たとえ悲劇であったとしても、心にもない言葉を一瞬のうちに拡散できるSNSでのメッセージがもたらす近年の数え切れない悲劇に比べれば、その違いは一目瞭然だろう。

 

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朝、新しい手紙が届いてはいないかとわくわくした気持ちでポストまで歩いて行く人が今どれだけいるのだろう。私自身、横にある箱の中に手紙を入れる頻度は圧倒的に減っているし、私も便利な連絡手段を手にしてからは「最近どうしてる?」というような何気ない会話はスクリーン上で済ませるのがほとんどになってしまった。しかもその文面を書いている時に他の友達からのメッセージの通知が来たり、他のウィンドウで別の作業を同時進行しているなんてこともある。(なんという悲劇!)そもそも最近の友達は住所も知らない。とはいえ、昔からの親しい友人には誕生日やクリスマスには必ず凝りに凝った手紙を送るようにしているが、そういったお祝いカードに返事は来ないもので、結局一方通行である。

 

私の「古き良き時代」ももう過ぎ去って戻ってくることはないのだろうか。時々ふと悲しくなってしまうが、アートは消え去ったわけではい。むしろ、このテクノロジーの時代でこそ、手間のかかるアナログな作業のその尊さは一層増しているのかもしれない。誰しも、自分宛に届いた手紙を開くことの喜びを一度は感じたことがあるだろう。そしてその筆跡から相手感じ、自分に手紙をくれる人がいることの幸せをひとときであれ味わった経験があるはず。私は、全てが機械的でエモーションレスな現代に、「手紙のアート」ほど今私たちに足りない「何か」を満たしてくれるものはないように思う。身近な人、ずっと会っていない人、近所の人、何千キロも遠くにいる人。あなたの大切な誰かに明日、手紙を送ってみてはどうだろう。「お返事待ってます」の一言も忘れずに添えて。ポストを覗く小さな楽しみを共有できることはとても素晴らしいことだと思う。私も今この記事を書きながら、私の「古き良き時代」を蘇らせたくなってきた。

 

思いもよらないストーリーが生まれるかもしれない。テキストメッセージの世界では決して起こることのない何かが。ちょうど、「カラスと共に山へと消えたはずの手紙の袋が次の日の朝玄関先に戻ってきたの!」という喜びの電話をあの友達がかけてきた、というように。

 

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「古き良き時代」を象徴するものは、人によってそれぞれ。でもそれらは、案外今の時代に必要とされているもの、という点で共通しているのかもしれない。先へ先へと目を向けることも大切だし必要だけれど、それによって過去の美しさを忘れてはいけない。蘇らせられるのはその美しさを記憶に留めている人だけなのだから。

 

──あなたにとっての「古き良き時代」とは?

Maasa Yamamoto

ICU Japan '24

I'm currently studying at International Christian University, majoring philosophy and religion. I simply love watching, creating, feeling, and listening to something artistic, and being in nature. And my biggest dream is living in Italy someday!
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